「避難所に備蓄を持っていくと、クレクレされる」
「水や食料を見せないほうがいい」
「自分の家族のために用意した物まで欲しがられた」
災害時の備蓄について調べていると、こんな「避難所のクレクレ問題」を目にすることがあります。
ところが、調べていて一つ不思議なことに気づきました。
「自分がクレクレした」という話は、なぜほとんど見かけないのでしょうか?
実際、Yahoo!知恵袋にも、まさにこの疑問を投げかけている質問があります。
「ずうずうしいことをした自覚があるから、話さないのでは?」
そう考えることもできます。
でも、災害時の状況や被災経験者の話を見ていくと、それだけでは説明できない部分も見えてきます。
この記事では、誰かを「クレクレする人」と決めつけるのではなく、
- なぜ「クレクレした人」の体験談は見つかりにくいのか
- 備蓄していた人でも「何も持っていない人」になるのはなぜか
- 自分で持ってきた備蓄は分けなければいけないのか
- 自分が「もらう側」にならないために何を備えればいいのか
という順番で考えていきます。
「クレクレした人」が名乗り出ないのはなぜ?
まず考えられるのは、単純に自分から言いづらいということです。
「私は避難所で他人の水を欲しがりました」
「食料を分けてもらいました」
こうした経験を、わざわざインターネットに書こうと思わない人もいるでしょう。
でも、もう一つ考えられることがあります。
たとえば災害直後、子どもを連れて避難した人の手元に水がなかったとします。
隣にいる人がペットボトルを何本か持っています。
「すみません。子どもに飲ませたいので、少し分けてもらえませんか?」
頼んだ側にとっては、
「困っていたので助けを求めた」
という出来事かもしれません。
しかし、その水が自分の子どものために用意した最後の数本だったら、頼まれた側の感じ方は違うかもしれません。
「家族のために持ってきた備蓄を、知らない人から求められた」
という記憶になる可能性があります。
同じ出来事でも、見る立場によって呼び方が変わることがあるのです。
もちろん、これは一つの可能性です。
何度断っても要求する、勝手に持っていこうとするなどの行為まで「助けを求めただけ」と考える必要はありません。
ただ、「クレクレされた人はいるのに、クレクレした人はいない」という疑問を考えるうえでは、頼んだ側と頼まれた側で認識が違う可能性も考えておきたいところです。
備蓄していた人でも「何も持っていない人」になる
ここで、もう一つ大切なことがあります。
Yahoo!知恵袋の先ほどの質問には、阪神大震災を経験したという人から回答が寄せられています。
回答によると、地震で自宅の裏のアパートが全壊し、ガス臭もする状況になり、避難したそうです。
そのときは余震もあり、「何を持って逃げよう」と考える余裕はなかったといいます。
落ち着いて考えれば、子どもの食べ物や飲み物も必要だった。
しかし災害直後には、そこまで頭が回らなかったという趣旨の体験が書かれています。
これは匿名の投稿であり、個々の出来事を公的に確認できる資料ではありません。
ただ、この話には防災を考えるうえで大切な視点があります。
「家に備蓄していること」と「避難した場所に備蓄を持っていけること」は別です。
家屋の倒壊、火災、ガス漏れ、津波など、命を守るために何も持たず逃げなければならないこともあります。
昨日まで「ちゃんと備えている人」だった人が、災害発生から数分後には「何も持っていない避難者」になる可能性があるのです。
避難所に行けば、すぐ水や食料をもらえる?
では、何も持たずに避難しても、避難所へ行けばすぐに水や食料を受け取れるのでしょうか。
ここも注意が必要です。
内閣府の「避難所運営等避難生活支援のためのガイドライン」では、食料や物資について、供給計画や保管場所、避難所まで届ける体制などをあらかじめ整えておくことの重要性が示されています。
大規模災害では、必要な物資を被災地へ送り込む「プッシュ型支援」も行われます。
しかし、災害が起きた瞬間から、すべての避難者へ必要な物資が十分に行き渡るとは限りません。
だからこそ、避難所では届いた食料や物資を受け入れ、保管し、必要に応じて配布する管理が必要になります。
自分で持ってきた備蓄も分けなければいけない?
ここは、避難所のクレクレ問題を考えるうえで特に気になるところではないでしょうか。
避難所には、
- 自治体などが備蓄していた物資
- 外部から届いた支援物資
- 避難者が自分や家族のために持参した物
などがあります。
公的な避難所運営資料では、避難所へ届いた食料や支援物資を管理・配布する仕組みが示されています。
一方、今回確認した公的資料からは、避難者が自分や家族のために持参した個人の備蓄を、他の避難者へ提供しなければならないという一律のルールは確認できませんでした。
ですから、
「困っている人がいるんだから、自分の備蓄を渡さなければならない」
と単純に考える必要はありません。
自分にも子どもがいるかもしれません。
高齢の家族、持病のある家族、アレルギーのある人がいるかもしれません。
薬、介護用品、乳幼児用の食料など、代わりのきかない物もあります。
「少し分けて」と言われたらどうする?
すべての状況に共通する一つの正解があるわけではありません。
十分な余裕があり、自分の意思で分けられるのであれば、それも助け合いの一つでしょう。
一方で、自分や家族の分しかないのであれば、無理をする必要はありません。
また、水や食料が足りず困っている人がいる場合には、個人同士だけで解決しようとせず、避難所の運営者や物資担当者へ相談する方法もあります。
避難所へ届いた支援物資は、運営側が数量などを管理しながら配布することが想定されています。
「ください」
「嫌です」
という個人対個人だけの問題にしないことも、トラブルを減らすためには大切です。
自分が「もらう側」にならないために
この問題から学べることは、単に「備蓄を人から見えないようにしよう」ということだけではありません。
もっと重要なのは、自宅に備蓄するだけで終わらせないことです。
家に水や食料がたくさんあっても、家に戻れなければ使えません。
そのため、
- 自宅で生活を続けるための備蓄
- すぐ避難するときに持ち出す非常持出品
を分けて考えておくことが大切です。
さらに家族によって必要な物は違います。
赤ちゃんがいれば、ミルクやおむつ。
持病があれば薬。
高齢者がいれば介護用品。
ペットがいればフードや水。
「今すぐ避難するとしたら、この家族に絶対必要な物は何だろう?」
一度考えて、すぐ持ち出せる状態にしておくだけでも違います。
「備えている人」と「備えていない人」は簡単には分けられない
避難所のクレクレ問題というと、
「ちゃんと備蓄した人」と「備蓄せず人に頼る人」
という構図で語られがちです。
でも実際の災害は、そんなに単純ではありません。
- 備蓄していても持ち出せなかった人
- 家そのものを失った人
- 旅行中や仕事中に被災した人
- 突然避難しなければならなかった人
誰でも「何も持っていない側」になる可能性があります。
だからといって、備えてきた人が自分の物をすべて差し出さなければならないわけでもありません。
助けを求める側にも事情がある。
そして、
断る側にも守らなければならない人がいる。
「クレクレされた」という人はいるのに、「クレクレした」という人がなかなか見つからないのはなぜなのでしょうか。
答えは一つではありません。
ただ、もしかすると災害の現場では、誰かから見れば「クレクレした人」でも、本人にとっては「困って助けを求めた」という経験だったケースもあるのかもしれません。
備蓄する。
持ち出せるようにする。
そして、自分も「助けを求める側」になるかもしれないと知っておく。
そこまで含めて「備える」ということなのではないでしょうか。
参考資料
- 内閣府「避難所運営等避難生活支援のためのガイドライン」
- 自治体等が公開する避難所運営マニュアル・食料及び物資管理資料
- Yahoo!知恵袋「災害時に備蓄品をクレクレしたことがある人の話を聞かないのは何故だと思いますか?」(個人の体験談として参照)
※この記事は、公的資料および公開されている体験談等をもとに、災害時の備えについて考察したものです。避難所の運営方法や物資配布のルールは、自治体・避難所・災害の状況によって異なります。
