おにぎりを配れなかった避難所の現実!善意が争いを生む

熊本地震の発災から数日後。
ある避難所に、炊き出しのおにぎりが届きました。

しかし、そのおにぎりは、誰の手にも渡らないまま廃棄されてしまったのです。

「なぜ、配らなかったのか?」
「困っている人がいるのに、なぜ届けなかったのか?」

そう疑問に思う方もいるかもしれません。
けれどその裏には、「正しさ」と「感情」の間で揺れ動く、避難所運営の苦渋の判断がありました。

この記事では、YouTubeで公開したショート動画『このままじゃ誰も助けられません』に込めた想いと、その背景にある「支援の難しさ」について深掘りしていきます。

「このままじゃ助けられません」ストーリー紹介

「このままじゃ助けられません」ストーリー紹介

※この物語は、実際の災害事例をもとにしたフィクションです。

熊本地震の避難所に届いた炊き出しのおにぎり。
けれど、それは誰にも配られないまま、廃棄されることになりました。

助けたい想いと、避難所を守るための判断。
どちらも間違っていないのに、選ばれたのは「配らない」という決断でした。

この短いストーリーに込めた、支援のむずかしさと運営の葛藤。

なぜおにぎりを配れなかったのか?

なぜおにぎりを配れなかったのか?

避難所では、限られた物資を「どう配るか」が、常に難しい問題です。

今回のように、炊き出しのおにぎりが届いたとしても、すぐに配れるとは限りません。
その背景には、以下のような事情があります。

● 不公平感が避難所の空気を壊す

不公平感が、避難所の空気を壊す

避難所では、すべての人が等しく苦しんでいます。
一部の人だけが特別な支援を受けた場合、「どうして私たちにはないのか」と不満が広がり、時には口論やトラブルに発展することもあります。

● 揉めごとは人を孤立させてしまう

揉めごとは、人を孤立させてしまう

避難所を出ていく人が出た場合、次の居場所があるとは限りません。
情報や支援が途絶え、体調が悪化しても誰にも気づかれない…。
そんな命のリスクにもつながります。

● 運営もまた被災者だった

運営もまた被災者だった

避難所を運営しているのは、自治体職員だけでなく、地域の人や民間ボランティアも含まれます。
多くの運営者自身が、自宅を失った被災者でもあります
人手が足りず、判断力も体力も限界の中で、苦渋の決断を迫られることがあるのです。

運営も被災者だったという視点

運営も被災者だったという視点

災害時の「避難所の運営」と聞くと、どこか「支援する側」と「される側」が分かれているように感じるかもしれません。

でも、実際は違います。
避難所を支えているのは、同じように被災した人たちです。

家が倒壊した地元の住民や、地域の自治会、民生委員。
多くの人が、自分自身も大変な状況の中で「誰かの役に立てるなら」と前に立っています。

疲れた身体、限られた人手、迫られる判断。
そのすべてが「完璧」ではなくて当然です。

目の前のおにぎりを「配る」ことが正解だったのか。
「配らない」ことが正解だったのか。

簡単には答えが出ないからこそ、悩み、苦しみ、背負ってしまうのです。

まとめ;この記事で伝えたいこと

支援とは、優しさだけでは成り立ちません。
避難所では「誰かを助けたい」という想いが、時に別の誰かを追い詰めることもあります。

支援とは、優しさだけでは成り立ちません。
避難所では「誰かを助けたい」という想いが、時に別の誰かを追い詰めることもあります。

善意を否定するのではなく、「その善意をどう届けるか」を考えることが、本当に人を守ることにつながるのだと思います。

非常時だからこそ、誰もが冷静ではいられません。

でもだからこそ、支援する側も受け取る側も、「相手の立場」を想像する力が求められるのではないでしょうか。

この動画と記事が、「もし自分がその場にいたらどうするか?」を考えるきっかけになれば幸いです。


📺 このストーリーをショート動画で見る
▼【YouTubeショートはこちら】
👉(https://www.youtube.com/@prepare-sonae


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