災害後、人はなぜ風俗に通ったのか|被災地で起きた“心の避難所”という現実

災害後、人はなぜ風俗に通ったのか|被災地で起きた“心の避難所”という現実 防災・備える暮らし

災害のあと、まず語られるのは
食料、水、住まいの不足です。

しかし、時間が経つにつれ
別の問題が現れます。

「人が壊れていく」

これは大げさな表現ではありません。
実際に被災地では、
怒り、沈黙、孤立、そして急激な無気力が増えていきます。

そんな中で、
多くの人が口を閉ざしながら語る出来事があります。

被災後、風俗に通う人が増えたという事実です。

そこにいたのは“特別な人”ではない

そこにいたのは“特別な人”ではない

誤解されがちですが、
通っていたのは特別な人たちではありません。

家族を守っていた父親
職場を失った会社員
地域の役割を担っていた人

それまで普通に生活していた人たちです。

彼らは遊びに来たわけではありませんでした。

店で多かったのは
長く座って話すだけの時間です。

中には、
何もせず帰る人もいたといいます。

失われたのは生活ではなく「役割」

失われたのは生活ではなく「役割」

災害は家を壊します。
ですが、本当に人を追い詰めるのは
生活の破壊ではありません。

役割の消失です。

守る家がない
働く場所がない
必要とされる場面がない

人は急に
「誰でもない存在」になります。

この状態が続くと、
人は判断力よりも
存在確認を優先するようになります。

触れられることで保たれる心

触れられることで保たれる心

被災地の風俗店では
意外な光景が多く見られました。

・話を聞いてもらうだけ
・手を握るだけ
・隣に座るだけ

行為を求めない客も少なくありませんでした。

求めていたのは刺激ではなく
「拒絶されない時間」だったのです。

人は極限状態になると
正しさより安心を選びます。

それは弱さではなく
心の防衛反応です。

風俗嬢もまた被災者だった

風俗嬢もまた被災者だった

そして、忘れてはならないことがあります。

働いていた女性たちも
同じ被災者でした。

家を失った人
家族と離れた人
自分の生活を守るために働く人

彼女たちもまた
どう接するべきか分からず戸惑っていたといいます。

励ますべきなのか
距離を保つべきなのか

ただ一緒に時間を過ごすしかなかった。

そこには
「提供する側」と「受ける側」ではなく
不安を抱えた人同士の関係がありました。

なぜ風俗だったのか

なぜ風俗だったのか

ではなぜ、
カウンセリングでもなく
友人でもなく
風俗だったのでしょうか。

理由は単純です。

説明がいらないからです。

弱音を言う必要も
立場を守る必要も
強く振る舞う必要もない

ただ存在していられる場所だったからです。

必要だったのは行為ではない

必要だったのは行為ではない

風俗が求められたのは
欲望のためではありません。

孤立を一時的に止めるためでした。

避難所では
人は“迷惑をかけない人”でいようとします。

しかしその我慢は、外で崩れます。

その受け皿になってしまった場所が
たまたま風俗だったのです。

まとめ

災害後に必要なのは
物資だけではありません。  人が人として保たれる時間です。

災害後に必要なのは
物資だけではありません。

人が人として保たれる時間です。

風俗が良い、悪いという話ではなく
そこにしか逃げ場がなかった人がいたという事実。

心の避難所が不足したとき、
社会は想定しない形でそれを補います。

それが、被災地で起きた現実でした。

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